ooidaakira’s blog

大井田 朗(おおいだあきら)です。メールはoakirbあっとマークgメールドットコムへお願いします。◆Twitterもやってます @oakirb、@amikiooakirb の2アカウント。

2008-01-01から1年間の記事一覧

世界が不況。◆もの、サービスが前ほど売れなくなり、もの、サービスを製造、販売している会社がもうからなくなり、そういう会社で働いている人の給料が下がり、その人たちがますますもの、サービスを買うことができなくなる。◆でももしかしたらそれだけではなく、人々が「買いたい」と思うことができるもの、サービスが減っているということもあるのではないだろうか。◆もの、サービスの質が下がっていたり、もの、サービスが人々の求めている種類でなかったりして、「買いたくない」から買われない、逆に、本当に「買いたい」もの、サービスなら

『クラッシャー上司』という言葉に出会った。

http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2008/1025/209997.htm?o=0&p=2 で。

Googleアラートのメールが昨日から今日にかけてやたらと件数多く届いている。◆もしかしたらGoogleが設定を何か変更したか? たとえばGoogleアラートの対象となる検索結果の範囲上位○○位までの○○の件数を増やしたとか。◆Googleアラートのメールの届く件数が増えることは私にとってはありがたいことである。

制度でも何でも、決めるほうと押し付けられるほうでは、決めるほうに有利に作られる。◆たとえ制度の見かけが一見平等に見えるとしても実質は決めるほうに有利、押し付けられるほうに不利に作られるのが自然の成り行きだ。決めるほうが自分自身に不利になるように決めるはずがない。◆決めるほうとは年齢が高い世代がなることが多い。年齢が高い世代が社会の中で決定権、権力を持っている場合が多い。◆年齢が高い世代に有利なように制度が作られ、不利を被るのは若い世代だ。◆今の若い世代が年を取り年齢が高い世代になると、そのときにはまたその

ものごと(あるいは世の中全体と言ってもよい)が悪い方向へ進んでしまっている、と考えている、感じている人は、悪い方向へ進んでしまっては自分にとっては都合が悪いので、進むのをとどめようとする、しかしえてしてとどめられるものではない。とすれば、とどめようとすることは無駄なのか? とどめることに自分の力を使うより、ものごとが悪い方向へだとしても、ある程度進んでしまうのにまかせ、その進んでしまった先の状況で、自分にとって都合のよいことを探し出す、作っていくことのほうが意味があるのだろうか? しかし自分がそのときまで

今日は雨の日曜日。寒いし、外へ出るのはめんどうだな。

ITIL V3。Information Technology Inflastructure Libraryであってる?スペル。さて正解は、Information Technology Infrastructure Libraryで、惜しい、InfrastructureをInflastructureって書いちゃった。でもあとはあってた。

がんばリン。

Googleアラートに登録するワード数に上限があったのか! 今日新たに1ワード登録しようとしたら「すでにご利用いただけるアラート数の上限に達しています。新たにアラートを作成するには既存のアラートを1つ削除する必要があります。」と出た。上限があるのは仕方ないが、今後将来上限数が増えるといいな。

Firefox 3.1 beta1がリリースされたのでさっそく入れてみたが、Gmailで特定のメールを開いたときに毎回、右下のhttpsでの通信を表す「鍵」のマークに赤い!マークがつく、いわゆる警告マークとなってしまう。beta1のためかどうか知る由もないが、3.1 beta1はしばらく見送り元の3.0.3を使うこととした。

13番になってた。8番はホントに瞬間だな。

もう9番になってた、さっきのブログ書いたあとGoogle検索してみたらもう9番に下がってた。

Googleで8番目。「大井田」でGoogle検索したときのこのブログの順番。今、この瞬間だけかもしれないから書いておく。

できる

Firefox 3.0.3の動作がおかしくなっちゃった。新しいタブでウェブサイトを開くと、今まではそのサイトごとに表示の大きさを記憶してくれていてすぐにいつもの大きさで表示してくれたのだが、それがうまくいかなくなりどのサイトも同じ大きさで表示されたままになり、ズームの拡大縮小がまったく動作しない。タブの1枚目だけは今までどおり正常に動作しているので(なぜか?)、2枚目以降のタブは使わず別ウィンドウで表示させることにした。

何がどうなっちゃったんだろう?

大河ドラマ ⇒ たいがどらま ⇒ タイガドラマ ⇒ タイガ ドラマ ⇒ タイガー ドラゴン ⇒ タイガー&ドラゴン

教育がうまくいっていない? 今の大人が今の子供をうまく教育できていない? 教育がうまくいっていないかどうか、本当のことは誰にもわからない。教育がうまくいっていないと言う人がいるとしたら、その人が教育を「する」側だからだ。教育を「される」側、すなわち今の子供は、「教育がうまくいっていない」と一言も言っていないであろうからだ。

教育はしょせん、その時代時代ごとの教育を「する」側である大人が、自分たちが勝手に考える、自分たちにとって都合がよい子供を作ることであるに過ぎないかもしれない。子供たちは子供であるがゆえに自分の考えを表現する手段が未熟で、大人の勝手でされる…

B-CASカードがうざい。家でテレビを見ていると映像が突然止まる。「B-CASカードを正しく入れてください。」ですと、何もしてないのにー。B-CASカードを一旦抜き差しすると正常に戻る。

なぜなのかは自分でよく分からないが、周りの人のことが気にならない感じ、人の目が気にならない感じ、自分で自分のことがしっかり、ゆったり意識できている感じ。今日はそういう心持が保てている感じ。いつもこうだと余計なことを気にしてしまわなくて済むから、ラクで、物事に集中できる感じなんだけど、いつもこうはいかないかも。

Gmailで受信するメールで、最近、横長で画面からはみ出し横スクロールしなければ見られないメールはほとんどなくなった。送るほうが意識しているとすれば、それはよく考えられていてよいことだ。横スクロールしなければならないメールだと、それだけで見る気が下がるから。

Gmailを使用中に、何もしないのに自然と、自動的に、httpsの「認証」の状態が「異常」の警告マークに変わってしまう現象が、ここ最近起こっている。以前は起こらなかったような気がする。

ありのままの自分。ありのままの私。ありのままの僕。ありのままの俺。

権力、経済力。権力を持つ者は、自分が生き残っていくため、権力を持ち続けるため、自分が持つ権力そのものを使って、自分を脅かす存在を極力排除する。排除される側の存在はどのように生き残ることができるのか。生き残ることはできない運命か。生き残ることができるかどうかには、経済力が密接に関係するだろう。経済力を手放したくなければ、権力者に屈するしかない場合があるだろう。権力者に反発した場合、排除されるおそれがある。

ものごとを見るとき、「自分の見方」という「型」にはめて見てしまうことは、どうしても起こってしまう。理想は、「型」にはめずに「ありのまま」を見て、感じて、とらえることだが。◇「ありのまま」を見ることができているかどうかということは、神様が「おまえはありのまま見ることができているよ」とでも言ってくれない限り自分ではわからないことだ。でも、ありのままを見よう、少しでも近づこうとすることはできる。◇そのためには、ものごとを見るとき、考えるとき、「自分の見方」で見ている、考えているということを前提と必ずしながら見、

盛者必衰を目の当たりにすることがあるものだ。絶大な、圧倒的存在、力を持ったものと、今までは感じられていたものが、あるときを境にガクンと、目に見えて明らかに価値のなさを露呈する。周りの者は、そのことに気づいたとたん、ササーっとそのものから離れていく。まるで今までのことが夢だったように。

衰退は徐々に起こる場合ばかりではない。 突然起こる場合もあるのだ。 物悲しさを感じもするが、衰退は起こるべくして起こる。仕方がない。

○○を批判するわけじゃないんだけど。と言ってから「△△」と、どう考えても批判であろう内容を言うのは結局批判しているんだけど、言っている人は○○を批判するほど真剣に考えているわけじゃなく、自分にはあまり関係ない対象として○○を見ているということか?

ウィンブルドンでも他のグランドスラムトーナメントでも、優勝した選手はその瞬間にまずファミリーボックスへ行く。ウィンブルドンでのナダルも、屋根みたいなところを上っていった。あれで誤って落ちちゃって、けがしちゃったらばかみたいだから、そのときだけ階段を用意したりはできないものだろうか。

コンピューターシステムは費用が必要。最初の開発時に必要なのと、利用していくうえでの保守費用など。費用をかけて導入するからには、導入したことによる利益が、費用を上回らなければ損をする。費用も損も少額ならば重大な問題にならないかもしれないが、コンピューターシステムの費用は決して少額ではないので、利益のそれなりの額を出せないならば損が多額になる。

コンピューターシステムという言い方は、範囲がとても広い。 専門的業務に使用するコンピューターシステムもあるし、 メールのやりとりだってコンピューターシステムによって実現されている。 なんにしろ、利益を生み出すことは難しい。 コンピューターシス…

地上波デジタル放送の受信器を生活保護世帯へ無償配布する検討が進められていることについて、一部の声で、「健康で文化的に生きるためにはむしろテレビはないほうがよい」というものがあるが、こう言う人は、自分はテレビを見ることができていて見飽きているから言えるのであり、自分の考えを生活保護を受けている人に勝手に当てはめ、「生活保護を受けている人にとってテレビはなくてよいのだから受信器の配布は不要だ」という意見は、生活保護を受けている人の立場をまったく考慮していない勝手な言い分ではないだろうか。

Google Appsを企業で使うということは、いったいどういうことなのだろう、どういうことを意味するのだろう、今はまだ自分ではどういうことかほとんどわからない。メールサーバを自社内に持つにしろ、外の業者に持つにしろ、そのこととGmailを使うことは、何がどうちがうのだろう。Google Appsを使ったほうがよいという場合、何がどうよいのだろう。