2010年08月15日のツイート
@oakirb: 人を、企業を、行政を、何かを信じられなくなっている、今は。・・・って言うけど、あなたは、自分は他から信じてもらえる言動をしているんですか。
@oakirb: 考え方が作られた基礎がまったく異なる両者が、意識的にしろ無意識的にしろ、それぞれ自らの基準で他方を評価、批判するのでは、建設的な結論を出せるわけない。考え方の根本が異なり、それは変えることはできないということを認め合ったうえで話を始めないと。
@oakirb: 「昭和」の、特に前半、戦争のころの人たちは、生まれたとき周りの環境により”強制的”につらい状況になった、つらい状況がスタートだったからその中でやることをやるしかなかった。一方それより後の人は生まれたときにある一定の恵まれた状況がスタート。考え方が作られる基礎がまったく異なる。
@oakirb: 今いやなことを我慢してやることをやれば、将来楽に、幸せになれると期待するから今のつらさを我慢する。「昭和」はそういう時代だったのかもしれないが、今「平成」はそうでないのかもしれない。特に「平成」の若い人は、将来が楽になるとは考えていないのかもしれない。
@oakirb: 誰一人として「やめる」決断ができなくなってしまっていたものを、決断できなくなってしまっていた人全員(=全日本国民)が殺されてしまう前にやめることができたことはよかった。RT @InsideCHIKIRIN 日本の敗戦、韓国の解放、米国の勝利、が65年前のこの日に確定。世界全体でみ
@oakirb: 『それをも凌ぐ目も眩むような幸福感』を生じさせたのは、自分が一個の人間(わが子)の生に関与「させてもらえる」という思い。・・・だろうか。RT @takagengen 「正義」19・その極めて困難な「責務」が目の前に迫った時、感じたのは、不思議なことに絶望とそれをも凌ぐ目も眩むよう
@oakirb: 昨日のスマステーションで吾郎ちゃんが夢でエレベーターの夢を見るって言ってて、おれもそうだと思った。たまに見る。